児童精神科医の漫画『リエゾン』は生きづらい人もそうでない人も必読です

レビュー

こんにちはやまのてです。

最近、講談社のモーニングで連載中の『リエゾン』(ヨンチャン、竹村優作)を読んでいます。

本書を読んでいると、子どもだっていろんなことを感じながら生きているという当たり前のことに気付かされます。

そして中には「大人の自分にも同じことが言えるのではないか…」というケースもいくつも。

この記事では、漫画『リエゾン』を読んで感じたことをまとめていきたいと思います。

様々な境遇

舞台は児童精神科なので、当然といえば当然ですが、本当に様々な立場の子どもたちが登場します。

子どもたちが出てくるということは、当然大人たちも出てくるわけで、大人が病気のケースもあります。

あるいは極端な描写をしているケースもあるのでしょうが、ほとんどは「普段はあんまり意識していない(あるいは考えるのを避けている)けど、当然そういうこともあるよなぁ…」というもので、身がつまされます。

たとえ隣に住んでいる人でも、扉の向こうの世界は分からず、たとえ毎日顔を合わせる人であっても(家族でさえも)、その人の心の中のことは見えないということを再確認しました。

同時に、いつ自分のことになってもおかしくありません

揺らぐ「普通」

そう考えると、今普通に生活できている「普通」とはなんなのだろうなと思わされます。

普通とは、あくまで個人的な基準であり、とても曖昧なものなのでしょう。

多分全員の普通は違うのに、「全然違う普通」をそれぞれみんなで「他人も同じ普通を持っている」と勘違いすることで「社会の普通」が形成されているという感じでしょうか。

さらに、「普通」というものは目に見えないので、そこから逸脱していることになかなか気づけず苦しみ、気づいても戻れず、戻れないと苦しいし、見えないのでどうして良いかも分からず、周りからも理解されずさらに苦しい、みたいなことになってしまう。

そのスパイラルから抜け出すために、作中で描かれている「困った状況をどうにかしていこうとする試み」は、とても参考になると思います。

困っていることに対処する

本書では様々なケースに対して、精神科医だけでなく、当事者、周りの人も巻き込んで、とにかく「困っていることに対処」していきます。

対処する際のポイントは、「本人の性質を変えようとしない」こと

「困ったことは、理由があってそうなっている」と考え、それに対処できる人、サービス、道具を使って困ったことに対処していく。

ある学校で休み時間に池の魚の数を数えて授業に間に合わない生徒がおり、その対処を児童精神科クリニックの佐山院長に相談に先生がやってきました。

佐山院長は休み時間中に数え切れる方法を考える必要があると提言します。

数えることで安心でき、教室という閉じられた空間で感じるストレスから二次疾患を出さないようにするためとのことでした。

それを受けて相談に来た先生は、数取器を使うことを思いつくーー。

という一幕がありましたが、つまりこれは「数えて安心できる」という本人の性質を受け入れ、「授業に遅れる」という困っていることに対処する例と言えると思います。

このあたりについては、私もやっている自分取扱説明書に近いものがあり、「あ、このスタンスでいいんだなぁ」と安堵感が湧いてきました。

それでも生活はつづく

困ったことに対処しても、本人の性質が変わるわけではありませんので、別の困ったことに直面します。

生活は続くわけで、人生はこの「困った・対処」を繰り返して進んでいくようです

そう考えると各種の福祉サービスがいつ自分に必要になるかは誰にも分からないし、分かった時に頼れるものがないと苦しみ続けることになります。

しかもそのサービスは一生涯必要になるかもしれない。

予算がつかないから福祉サービスが継続できない、ということがないような社会を目指していく必要があるような気がします。

まとめ:心の準備のためにも

いつ自分が、あるいは自分の家族が病気になるかわかりません。

それでも生活を続けていかなくてはならない、というときに、本書を読んでいるかどうかで結構捉え方、動き方は違うのではないかなと感じます。

そういう意味でも、健康な人こそ、一度読んでおくことをおすすめしたい作品でした。


ドラマもされているようでしたので今度観てみたいと思います。

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